イラク、アフガニスタン問題(5)

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 アフガニスタンの歴史を見ていくと、アレキサンダー大王、チンギス・ハーン、ティムールらが、その地に君臨した。
 19世紀には、イギリス、ロシアの両国が、中央アジアにおける覇権争いを繰り広げ、その戦いは、グレート・ゲームと呼ばれた。1893年になると、イギリスの植民地行政官ヘンリー・モーティマー・デュアランド卿が、同国がインドで支配する領域の西端を定めるため、1500マイル(約2400キロ)にわたって線を引いた。このデュアランド・ラインは、アフガニスタンが自国の一部とみなすパシュトゥン部族の土地にかかっていた。1947年、その土地の北西部は、新たに建国されたパキスタンへと割り入れられた。
 グレート・ゲームは、アフガニスタンとパキスタン(現在は合わせてアフパクと呼ばれる)で続いている。この呼び名は、もろくて穴だらけのデュアランド・ラインの両方の地域で使われる。住民たちは、このラインを決して認めたことはないし、アフガニスタンも、国としてまだ機能していたときには、ずっと反対していた。
 アフガニスタンは他国の影響をずっと受け続け、翻弄されている。

イランの存在が大きい

 アフガン人のほとんどは『激しい軍事行動より、交渉による反政府勢力との和解のほうがいい』と望んでいる。タリバン戦士は自分たちと同じアフガン人、イスラム教徒であり、この国では争い事は昔から地域や部族の集会で解決してきたと指摘する人もいたという。
 アフガン人はいまだに、実際にアフガン人が望んでいる国ではなく、我々がアフガン人に望んでほしい国をつくりたいと思っている。彼らの国が『数十年後には、どの国に似ていてほしいか』とアフガン人にたずねれば、多くの人からは『イラン』という答えが返ってくる。
 イランの役割はとりわけ重要だ。同国はアフガニスタンと親密な関係にある。タリバンを強く非難し、追放するために多大な支援してきた(その報いが『悪の枢軸』の一国というらく印だったが)。他のどの国よりもアフガニスタンの安定と発展を気にかけており、パキスタン、インド、トルコ、中国、ロシアと正常な関係を保っている。そうした関係は、もし米国がイランと西側世界との関係を妨害し続ければ、おそらく上海協力機構と連携し、独自のものへと発展していくことが十分に考えられる。
 イランの存在もアフガニスタンにとっては重要な位置にある。
 オバマ米大統領は選挙公約どおり、アフパクで戦争を大きく進展させており、ブッシュ政権の拡大路線をさらに進めている。

情勢の変化

 NATOは、冷戦時代の原点から大きく変化している。ソビエト連邦の崩壊後、NATOはロシアによる仮想攻撃からの防衛という建前を失ってしまった。しかし、NATOは素早く、新たな任務を獲得した。クリントン米大統領はゴルバチョフ・ソ連大統領との約束を反故にし、NATOを東側に拡大したのだ。これは、ロシアにとって深刻な安全保障上の脅威であり、当然ながら国際的緊張が高まった。
 オバマ大統領の補佐官(国家安全保障担当)であり、2003~06年に欧州でNATOの最高指揮官を務めたジェームズ・ジョーンズ氏は、NATOの東側と南側への拡大を主張している。これは、中東地域のエネルギー供給源に対する米国の支配を強化するものだ(専門用語では「エネルギー安全保障の確保」という)。同氏はまた、この米国主体の軍事同盟に「非常に遠い距離からの素早い行動を可能にするずっと柔軟な能力」をプラスする、NATO即応部隊を擁護している。
 そうしたNATOの任務には、計画中の76億ドル規模のTAPIパイプラインの警護が含まれている可能性もある。このパイプラインは、天然ガスをトルクメニスタンから、NATOのカナダ部隊が駐留するアフガニスタンのカンダハル州を通って、パキスタンとインドへと送るものだ。これに競合するイランからインドやパキスタンへと続くパイプライン計画を妨害し、中央アジアのエネルギー資源に対するロシアの支配を弱めると考えられることから、米政府はTAPIを支持しているわけだ。
 つまり、エネルギー強奪戦による有利な状況をつくろうとしている。
 米国が最も懸念しているのは中国の動きだろう。一部のアナリストがNATOの対抗軸となり得るとする上海協力機構は、中国を拠点とし、ロシアと中央アジアの国々が加盟している。インド、パキスタン、イランはオブザーバーで、正式加盟もささやかれている。中国は、石油界の最重要国サウジアラビアとの関係も深めている。
 ここでも中国が大きな存在感を示している。

予定どおり米兵撤退だと、イラク政府は自力で

 現在イラクに駐留する米軍はおよそ12万人で、予定どおり8月末までに戦闘部隊が撤退すれば、イラク政府は自力で治安を維持しなければならない。
 イラクへの増派は、軍事的には成功だった。厄介な反体制勢力を打倒し、治安を大きく向上させ、国に安定をもたらした。
 しかし当時のブッシュ米大統領いわく、増派の目的はイラクの指導者たちに政治的対立を解消するチャンスを与えることだった。そもそも各派の政治的対立こそが、内戦激化の元凶で、歩み寄ることができなければ戦争が再燃するか、何か別の形でイラクを分裂あるいは崩壊させかねない。

 最大の懸念は多数派のシーア派と、少数派だがエリート層だったスンニ派の対立だ。しかし、状況は今も変わっていない。03~07年に国外に逃れたイラク人200万人の大半がスンニ派だったが、そのうちまだほんの一部しか帰国していないことからも分かる。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は昨年12月、イラクの情勢は少数派にとってまだ危険なので、帰国を強いるべきではないとした。
 イラクのスンニ派は依然として政治的に脇へ追いやられている状況だ。イラク北部のクルド人勢力との緊張も高まっている。クルド人は3州にまたがるクルド人自治区に加え、隣接する重要な3都市に対しても主権を主張している。
 自治区内で生産する原油についても、クルド人は独自に20社以上の外国企業と油田開発契約を結んだことで中央政府と対立し、原油輸出の流れが一時的にストップしていた。自治区の境界線や選挙規制をめぐっても衝突が絶えない。

 2010年3月には総選挙が行われる予定で、その後何ヵ月も続くだろう議会での駆け引きが治安の悪化を再び招く恐れもある。
 新しい国家運営にはシーア派、スンニ派、クルド人の3つの勢力を関与させる必要がある。そのためには安定した権力分担が不可欠で、合意にこぎ着けるには3勢力すべてが歩み寄らなければならない。

<参考資料>
・「特別連載 第4回 オバマとアフガン政策」
ノーム・チョムスキー(DAYS JAPAN 2009.7)
・「イラク 安全撤退の正念場 成功の条件は」
ファリード・ザカリア(国際版編集長/Newsweek 2009.12.30/2010.1.6)

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