イラク、アフガニスタン問題(4)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 イラク問題はアメリカでも世界でも深刻な状況のままである。
 03年11月、その頃イラクでは反米勢力が増大し、テロが広がり、現地の米兵はパニック寸前の状態だった。イラク人を『解放』するためにやって来たはずの彼らが多くの一般市民を捕らえ、深夜に家からひきずり出してバグダッド郊外のアブグレイブ刑務所に押し込み始めていた。そこに収容されたイラク人の一部は虐待され、辱めを受けた。
 イラクはおぞましい暴力の悪循環に陥っていた。その結果、数十万のイラク人が犠牲となり、米兵の死者も4000人を超えたという。10万人規模の兵力を現地に維持するだけでも、その費用は毎週15億ドルを超えるという。7年前から今日まで、そのためにアメリカ国民の血税が投入されてきた。早過ぎる撤退(もしくは撤退そのもの)は治安の悪化につながり、平和ではなく戦争が中東全域に広がるのではないかと懸念されたからだ。
 それでも、7年近い地獄の日々を経た今、ようやくイラクにも民主主義らしきものが出現し始めている。

 その兆候として、何十年もフセイン政権の全体主義による『恐怖の共和国』で暮らした後、05年にチャンスが到来すると、国民はこぞって投票所に出向いた。
 そして今、バグダッド市内には選挙ポスターがあふれ、印刷所は24時間態勢でポスターを刷りまくっている。今のイラクでは、もはや有権者が宗派別の候補者リストに無条件で従うことなど期待できない。そんな期待を抱いてきた親イランのイラク・イスラム最高評議会などは、09年1月の地方評議会で議席を大幅に減らした。
 この選挙で争点となったのは、電力や雇用、清潔な水、医療施設、そして治安といった問題だ。マリキ政権はこれらの問題で多少なりとも実績を挙げていたので、全18州のうち9州では与党陣営が過半数を制し、支持率は高い。

活気を取り戻しつつある

 さらに、イラクの状況は改善に向かっている。カリム・ワスフィが率いるイラク国立交響楽団がある。メンバーにはクルド人もいれば、キリスト教徒、スンニ派、シーア派もいるが、全員で美しいハーモニーを奏でる。
 女性演奏家のスカーフ着用は本人の意思次第。宗派間対立がピークに達した06年には、メンバーのほぼ半分が国外に逃れ、残ったメンバーは民兵らに脅迫され、1人が殺されたという。コンサート会場のすぐそばで激しい銃撃戦が行われ、機関銃の音が炸裂する中で、演奏を続けたこともあるという。今では南部のカルバラのような宗教色の強い保守的な都市からも演奏依頼があるそうだ。
 バグダッドやバスラは、国際都市の活気を取り戻しつつある。バグダッド市内、チグリス川岸のアブナウス通りには、夜になるとレストランの明かりがともり、人々は魚料理とビールに舌鼓を打つ。
 内戦の最中には店閉まいしていた酒店も、今では店の前に外国産のビールやウイスキーのケースを山積みにしている。キャンパスで自由を謳歌する学生も多い。

 3月7日に実施されたイラク連邦議会選には、主要宗派全てと多くの政党から約6100人が立候補した。利害も野心も激しく対立しているが、それでも政治家の間には、みんな同じイラク人だという意識が芽生えてきた。そして武力でなく議論で決着をつけるようになってきたというのだ。以前なら大統領令(あるいは駐留米軍による有形無形の圧力)を用いるしかなかったような事案も、今は議会での論戦を通じて決まるようになった。アメリカの保護と励ましの下、時には指導も受けながら、イラクの政治家は独自のシステムを生み出しつつある。
 しかし、投票が比較的平穏に実施されても、政権発足に向けた駆け引きは何週間、いや何ヵ月も続くかもしれない。05年12月の議会選でも、首相と内閣が決まったのは翌06年の5月だった。しかも今回は、駐留米軍の撤退が進む中での作業となった。ピーク時に17万人だった駐留米軍の数は既に10万人を切っており、今年8月末までには5万人規模に縮小される。

 注目したい出来事といえば、イスラム教シーア派が主導する選挙管理委員会は、フセイン政権時代の与党だったバース党とのつながりを理由に、一部のスンニ派候補の立候補を禁じた。少し前なら、これだけでも宗派間抗争に火が付いていたはずだ。
 つまり、大切なのは、それで何が起きたかではなく、何が起きなかったかだ。
 立候補を表明しながら候補者リストから除外された人数は、結局150人程度だという。

少しずつ前進

 国内情勢を分析するために、従来のシーア派とスンニ派とクルド人の対立という構図にとらわれていると、その枠を超えて重要な政策課題が優先されるようになった現実を見逃してしまう。
 自分の考えや思想、宗教については妥協しない。仮にも妥協しようものなら、裏切り者と呼ばれることになる。しかし、妥協という技を学んだ。ある法案に関してはクルド人とシーア派が組んでいる。シーア派がスンニ派と、またスンニ派がクルド人と組むこともある。
 さらに、重要なことは、この国の政治家たちは争ってばかりいるが、それでも必要な数の支持を集めて法案を成立させているということだ。国内の石油資源の分配問題など、審議が行き詰っている法案もあるが、それでも銃弾の代わりに怒号を交わしつつ、議会はこの1年だけでも50の法案を成立させてきた。新年度の予算案や投資法の修正案も決まった(いずれも承認手続き待ち)。各種NGO(非政府組織)の活動を後押しする包括的な法案も通った。

 しかし、まだまだイラクの新しい政治システムがもろいのは事実だ。彼らの実験が持続可能だと断言できる人はいないだろう。それに、アメリカ側にも、実験成功のカギは自分たちが握っているとの見方が多い。対立する諸勢力の暴走を防げるのはアメリカだけだ、というわけだ。
 しかし、自分たちの存在が不可欠だというアメリカ人の思い込みには別の、より大きな危険が潜んでいる。イラク国民は今もアメリカの介入を腹立たしく思っているし、アメリカよりの政治家を嫌悪してもいる。

イラク軍が国民に信頼されること

 今のイラクにあるのは『最低限』の民主主義であり、それを動かしているのは500~600人の『新しい』政治家たちだ。
 今のイラク国民には、地獄のような日々を生き抜いてきたという強烈な連帯感がある。
 政府なり政治が機能しないときには、人々が頼りにできる『網の目状に結ばれた諸制度』が社会の安定化の鍵を握る。今のイラクはまさにこの諸制度の整備に着手したところだ。
 イラクのメディアは中東では最も自由かつ大胆に報道を行っている。800余りのテレビ、新聞、ラジオが政治家や財界人の不正を果敢に追跡しているのだ。司法もしかりで、イラク全土で判事の数は1200余り。腐敗官僚が次々に法廷で裁かれている。女性たちも声を上げるようになり、地方議会の議席の25%を女性が占めるまでになった。

 最も心強いのは、イラク軍が国民に信頼されるようになったことかもしれない。イラクに残っている国際テロ組織アルカイダのメンバーは、今も自爆テロを繰り返している。宗派間の緊張が高まったり、米軍が撤退すれば、テロ組織が再び活発になるとの見方もある。しかし、もはや中央政府が機能停止に追い込まれるような事態にはならないだろう。第1、国民のほとんどが暴力には拒否反応を示すことがあげられる。
 軍が強くなり過ぎて、クーデターを起こす心配もなさそうだ。イラクでは(クーデターが)繰り返されてきたので、今のところ軍が政治に首を突っ込むような兆しはまったくないという。
 それよりも問題なのは、イラクの政治家が軍を宗派間対立に利用する事態だという。

イランが要注意

 しかし、隣国イランの出方は依然として要注意だ。イラン政府は引き続き通商や外交はもちろん、宗教的なつながり、民兵組織との水面下のパイプなど、あらゆるチャンネルを駆使してイラクに影響力を及ぼそうとしている。とはいえ、不正疑惑に揺れた09年6月の大統領選以降、国内の改革派対策に追われ、イラクに首を突っ込む余裕はなくなったようだ。
 イランの革命防衛隊の特殊部隊で外国に対する工作を行っているクッズ部隊のメンバーが以前は月に1回くらい来ていたが、最近では6、7ヵ月に1回となったという。クッズの指揮官はイラン国内の作戦行動に追われ、イラクに構っていられないらしい。

 長期的に最も重要なのは、イラク政府が資源を有効活用できるかどうかだ。イラクには膨大な石油と天然ガスが眠る。クルド人が拠点とする北部、シーア派の南部、スンニ派の勢力圏である西部。いずれも広大な油田やガス田を有する。現政権は関連法の整備を待たずに、既に外国の石油会社と共同開発に向けた交渉を行っている。
 アナリストによれば、2010年末までにイラクの石油生産は日量ほぼ250万バレルから1000万バレルに増えるという。現状のレベルの生産量でも、09年にイラクの石油輸出額は390億ドルに上った。
 近隣諸国が一番恐れているのは、イラクのこうした潜在的な国力だ。イラクの民主主義はまだ生まれたばかりだが、レバノンを除いて、イラクは今中東で最も元気のいい民主国家だろう。
 新生イラクは、地域の大国として―サウジアラビアとイランの双方を脅かすような大国として、頭角を現しつつあるということだ。

『9・11後』が懸念

 欧米の多くの人たちの背筋を本当に寒くさせたのは、9・11テロそのものより、その『後』の不安だった。
 国際テロ組織アルカイダが世界のイスラム教徒の支持と共感を集めている(ないしは、今後集める可能性がある)のではないかという強烈な不安が湧き上がってきたのだ。世界のイスラム教徒の人口は15億人以上。そのかなりの割合がイスラム過激派の思想に共鳴すれば、欧米は出口のない『文明の衝突』に引きずり込まれるからだ。
 実際、9・11テロ後の世論調査を見ると、イスラム世界のどこでも人々はアメリカや西欧に激しい憎悪を抱き、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを驚くほど強く支持していたという。
 一方で、大半のイスラム諸国の政府は、この状況に煮え切らない態度を取った。イスラム過激派の怒りの予先はあくまでも欧米に向けられていて、自分たちは標的になっていないと判断していたからだ。

 イスラム世界の穏健派が過激派への反撃に成功し始めている。
 イスラム圏のほとんどの国では、主流派の安定を取り戻し、過激派は孤立し始めている。
 つまりアメリカ政府が今最も警戒すべき対象は、幅広い支持を集めている政治運動ではなく、地球上のあちこちに散らばった少数の狂信者なのだ。

欧米とイスラム諸国、互いに変化を

 それに、空想の中の敵ではなく、現実の敵との戦いをうまく運ぶために、欧米はイスラム世界の変化をよく理解する必要があるだろう。
 9・11テロ後にアメリカが真っ先に取った行動は、アルカイダをたたくことだった。アフガニスタンからアルカイダを追い出し、世界のどこまでも追い掛けた。アルカイダの資金源を断ち、戦闘員を拘束し、あるいは殺害した。アメリカ以外の多くの国もこれに足並みをそろえた。
 その一方で、『そもそも、どうしてこのような事態になったのか』という議論も始まった。その議論に最も大きな影響を与えた文献は、大統領の声明や有名な知識人のエッセーではなく、02年に国連開発計画(UNDP)が発表した地味な報告書だった。
 この報告書は、グローバル化と開放性と多様性と寛容性の面でアラブ諸国が世界で最も後れを取っていることを指摘。明確なデータに基づいて、アラブの国々の政治と社会と文化が停滞している現実をありありと描き出した。

 アラブの指導者たちは自国の現状をあらためて見詰め直し、近代化推進の姿勢をはっきり示さざるを得なくなった。アメリカのブッシュ前政権がイスラム世界の穏健派のてこ入れと市民社会の強化などを目指す政策を相次いで打ち出したことも追い風になった。
 そこに、変化を一層加速させる強力な触媒が加わった。9・11テロの後に、アルカイダが戦略上の失態を繰り返したのだ。
 ビンラディンや幹部たちの威勢のいいビデオメッセージとは裏腹に、アルカイダは以前に比べて、国境を越えて資金や要員や物資を動かすのが難しくなっていた。
 そこで、『グローバルな』標的ではなく、『ローカルな』狙いやすい標的を攻撃し始めた。

 こうした行動は、それまで(意図した結果にせよ、意図せざる結果にせよ)アルカイダの活動を許してきた国々の政府の基盤を脅かすものにほかならなかった。
 03~04年にかけて、サウジアラビアでもこの種のテロが続発した。外国人観光客が狙われたものもあったが、サウジアラビアの内務省や石油産業が標的になったものもあった。サウジアラビア政府は、自分たちの体制の存立を脅かされていることに気付いたのだ。
 05年に即位したアブドラ国王は、過激派思想の説得力を弱めるための大掛かりな政治・文化キャンペーンを開始。

 イスラム過激派との戦いで最大の成功を収めている国は、世界最大のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアかもしれない。
 02年当時、この国には長く苦しい戦いが待ち受けているようにみえた。テロが相次ぎ、地元の過激派組織ジェマー・イスラミア(JI)の勢力は拡大する一方だったが、8年たった今、JIはマイナーな組織になり、主流派の政党が影響力を増している。

 イラク戦争はイスラム世界を激怒させ、占領初期に当局が犯した一連の失敗は危険な混沌状態を生んだ。そんな中、アルカイダの猛威が吹き荒れ、そして過ぎ去った。イラクのアルカイダ系組織は武力面で勝利するのと同時に、政治的な戦いで敗北し始めた。
 9・11テロ以来、欧米の識者やジャーナリストは穏健派イスラム教指導者に『過激派を糾弾せよ』と呼び掛けてきた。06年頃、そうした声に応じる動きが活発になり始める。07年には、ビンラディンの師でサウジアラビアのイスラム法学者サルマン・アウダが公開書簡を発表。「イスラム社会に流血と苦しみと破壊をもたらしている」と、ビンラディンを批判した。

政治と外交、開発援助の力は必要

 イスラム教を守るためなら、自爆テロなどの暴力は正当化されると考える人の割合は各国で大幅に減少しているという。
 変化がとりわけ著しいのがヨルダンだ。自爆テロは『しばしば、または時に正しい』という人の割合は05年には57%だったが、今ではわずか12%。テロは『めったに、または絶対に正当化できない』と考える人の割合はインドネシアでは85%(02年は70%)、パキスタンでは90%に上る(同43%)。
 こうした変化が起きているのはイスラム教徒がより世俗的になったからでも、昔ながらの教えにこだわることをやめたからでもない。宗教間の対立を解消するには、あと数十年を要するだろう。それでも過激派との戦いは予想をはるかに超える進展を見せている。
 そこに、例外はある。アフガニスタンでは、過激思想がこの国ならではの民族問題と分かち難く結び付いている。パキスタンは03~04年当時のサウジアラビアと同じ状態で、過激派を育てれば自らの首を締めることにようやく気付き始めたばかりだ。そしてイエメンの場合は、国自体に過激派と戦うだけの力がない。

 アルカイダはアラブ世界の一般市民に支持される運動ではなくなり、その政治的主張に脅威を覚える国家指導者もいなくなった。
 だからといって、武装勢力掃討の努力を続ける必要がないわけではない。アルカイダは今もテロ攻撃をもくろんでいる。それでも以前のオーラは消え、政治的影響力も激減し、残存メンバーは各地に広く浅く拡散し、ほとんどの場合、苦しい状況に直面している。
 アメリカは文明の衝突という段階を抜け、いくつかの限られた場所で軍事・情報作戦を実行している状態だ。こうした作戦を成功させるには政治や外交、開発援助の力が欠かせないだろう。

<参考資料>
・「イラク流民主主義の誕生」
ババク・デガンピシュ、ジョン・バリー、クリストファー・ディッキー(Newsweek 2010.3.10)
・「聖戦士を負かした「聖戦」」
ファリード・ザカリア(国際版編集長/Newsweek 2010.3.3)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)