民主主義の行方(上)

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 過去に、興味を持った記事をまとめたものです。(2010年)

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 世界中で民主主義に対する流れが大きく変化している。
 1990年代~2000年代前半は、途上国で政治の自由が花開いた時代だった。1990年当時、アフリカや東欧、アジア諸国の大半は独裁政権に牛耳られたままだったが、2005年を迎える頃には各地域で民主主義が芽生えていた。
 ソ連はロシアに生まれ変わり、新生ロシア社会は共産主義時代とはかけ離れた自由な空気に満ちていた。イラクのフセイン政権は崩壊し、アフガニスタンではイスラム原理主義組織タリバンが政権の座を追われ、トルコはクーデターの伝統に終止符を打ったように見え、イランでは改革派のモハマド・ハタミが大統領に就任した。

 しかし、その流れは変わり、民主主義は今や、世界のほとんど全ての地域で失速している。フセイン後のイラクの指導者は、脅迫という手段でライバルを蹴落として政治システムの頂点に上り詰め、その姿に国民は幻滅した。イラクでは(2010年)3月7日に連邦議会選挙が行われたばかりだが、有権者に盛んに投票を呼び掛けたにもかかわらず、投票率は2005年の前回選挙を下回った。
 フィリピンのグロリア・マカパガル・アロヨ大統領は2006年、全土に非常事態を宣言して事実上の戒厳令を敷いた。アロヨ政権下では治安部隊による左派活動家の誘拐・殺害件数も増加している。
 さらに、カンボジアのフン・セン首相と彼が所属する与党・人民党は、誹謗中傷罪や名誉毀損罪を利用して反政府派の口を封じている。政治権力の独占を狙う彼らが、人権活動家などの拷問や殺害を行っているとの噂もあるという。
 ロシアでは2000年に大統領に就任したウラジーミル・プーチンが、1990年代にこの国を襲った経済的混乱に対する国民の怒りを利用して、真の民主主義の実現を阻む政策を推進。地方の首長を大統領の任命制にし、独立系政党を壊滅状態に追い込み、メディアを徹底的に支配している。

民主主義に対する中流層の意識と追い打ちをかける要因

 民主主義の凋落をもたらした犯人は中流層だ。かつて独裁政権の打倒に力を尽くした中流層の多くが、今や民主主義を確立する難しさを思い知り、かつての独裁政権時代を懐かしんでいるというのだ。
 多くの場合、原因は1990年代に新興民主主義国家を率いた指導者の政治姿勢にある。
 自由な社会をつくるには確固とした制度や健全な野党、妥協をいとわない精神が欠かせないことを彼らは理解しなかった。彼らにとって民主主義は選挙のときに使うだけの制度。選挙で勝利を収めた後は、手にした権力を乱用して国家を支配し、支持者や出身民族に利益を誘導した。
 こうした狭量な民主主義はその言葉の真の意味を歪めただけでなく、多くの国で民衆の民主主義離れを招いた。新しく政権を握った民主主義者は以前の独裁主義者と同様、公益を追求する気などさらさらない。そう考えた民衆は愛想を尽かしたわけだ。

 その流れを後押しすることが起こった。1990年代、民主化の推進に力を入れていた欧米諸国も、9・11テロ以降はテロとの戦いに焦点を移し、途上国で民主主義が瀕死の状態に陥ってもほとんど何もしなかった。国外で民主主義を守るために立ち上がる余裕がなかったから、あるいはマレーシアやパキスタンの場合のように、独裁的政権が続く方が都合が良くなったからだ。つまり、独裁政権なら、テロ容疑者を無期限に拘束してくれるから。
 さらに、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領が、イラクの民主化を掲げてイラク戦争を始めたことも災いした。おかげで、中東をはじめとする地域の民衆にとって、民主化は悪いイメージを持つものになった。
 それに加え、昨今の世界的な経済危機も民主主義の魅力を色あせたものにした。途上国の多くの中流層にとって民主主義の拡大は資本主義の拡大と同義。大抵の途上国では、政治的自由の実現と時期を同じくして経済の開放が始まったからだ。
 経済危機で人々の収入が減る中、民主主義が不景気の一因だと非難する声は多い。

 多くのアフリカ諸国では、ケニアのムワイ・キバキ大統領など改革派と称される指導者が政治的自由を約束して政権の座に就いた。その彼らも今では政敵を迫害したり、出身民族をえこひいきしたりすることに専念している。
 こうした現象の象徴的な例がタイだ。新興民主主義国の中で最も有望な国の1つ、といわれたのは1990年代のことである。
 かつてタイは途上国で最も進歩的な憲法を制定し、欧米と肩を並べるNGO(非政府組織)文化をつくり上げ、醜聞を暴き続ける活力あるメディアを生み出した。だが1997年のアジア通貨危機でタイ経済は衰退。2001年、民衆の不満を味方に付けた実業家のタクシン・シナワットが、経済の立て直しと貧困層向けの社会福祉制度の充実を公約に掲げて首相に就任した。
 タクシンは大衆迎合的な公約のいくつかを実現した。国民医療保障制度を施行し、地域経済活性化のため1村につき100万バーツの農村基金を創設した。
 しかし、当初の期待と違って、タクシンはタイの民主主義に恩恵をもたらさなかった。それどころか社会的な保護を拡大する一方で、タイの若い民主主義の制度を弱体化させていった。
 官庁や司法を骨抜きにし、自立した優秀な人材の代わりに縁故者を採用した。支持者に複数のメディアグループを買収させたとも言われ、メディアを黙らせて批判的な報道をつぶした。
 『麻薬撲滅』作戦を指揮した際は、裁判なしの処刑や治安部隊による連れ去りを黙認したとして、国内外の人権団体から非難された。弁護士のソムチャイ・ニーラバイジットなど著名な人権活動家がこつ然と姿を消した。このような不信な死に方をした人は2,500人を超えるという。

(続く)

【参考資料】

・「こうして民主主義は死ぬ」
(Newsweek 2010.3.24)

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