地球環境をめぐる(5)

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 地球環境がおかしくなっていると、昨今はいろいろなところで訴えられている。現実に気候の変化は肌身で感じるほど、変化しているように感じる。しかし、環境は悪化しているのかということに関して、賛否両論もあるのも事実だ。

 昨年のクライメートゲート事件(科学者が温暖化を誇張するためにデータを改竄した疑いが持たれた事件)以来、地球温暖化に対する懐疑論が噴出している。
18歳以上のアメリカ人1,014人を対象としたギャラップ社の調査によると、「温暖化が誇張されている」と感じる米国人の割合はここ1年で急増している。米国の民間企業の政治献金を監視する団体『公共性保全センター(CPI)』の統計によると、この6年で温暖化に関するロビー活動費は400%もの増加を見せたという。また、『責任ある政治センター(CRP)』のアナリストは、石油など化石燃料企業によるロビー活動の爆発的な伸びを指摘している。例えば、エクソン社のロビー活動費は数年前まで600万~700万ドルの間を推移していたが、2008年には2,500万ドル、09年には3,000万ドルにまで増加したという。風力発電など環境派のロビー活動費も増加しているが、その額は石油系企業のわずか8分の1だ。

電気自動車の普及の段階には至っていない

 さらに、こんな指摘も出ている。
 現在、電気自動車が脚光を浴び始めている。電気とガソリンのハイブリッド車の普及率も上がってきた。しかし、電気自動車の普及には、現実的に考えるとまだまだ壁があるだろう。
 これまでの自動車の場合、燃料を補給する(ガソリンを入れる)のに、約2~3分で可能だったが、電気自動車ではこれは難しい。フル充電には10時間程度かかり、高電圧を使う専用の急速充電設備を使っても数十分で8割程度の充電が必要である。そもそもフル充電で走るのは100キロ程度で、同クラスのガソリン車が満タンで走る距離の2割ぐらいである。ただし、1日100キロ以上走るユーザーはほとんどいないだろう。
しかし、問題は充電しないでいてバッテリーが空になったら、たとえその場に充電設備があったとしても数十分は待たされるということだ。つまり、いつでも気軽にスタンドによって満タンにという運用はできなくなるのだ。
 そうしたことから、全ての駐車場に低価格の充電設備を設置し、出先で用を足している間、いつもこまめに帰りの分の充電をするという充電インフラの構想も出ている。さらに、バッテリー積み替え可能な電気自動車を開発しようとしているメーカーもある。しかし、ここにも問題がある。交換可能になっても、電気自動車の電池は非常に高価であり、交換後の電池は邪魔になる。それでは、電池はレンタル品としてサービス会社が所有し、現場で取り換えるということにしてはどうだろうか。ここにも不安要素がある。それは、電気自動車用電池というのを業界で標準化しないと非常に不便だということだ。
 こうしたことから、電気自動車の導入というのは気軽に個人が買い換えるというものではなく、会社としてのインフラ変更を伴う大きな交通システムが必要になってくる。それに、電気自動車においてレアメタルなど貴重な資源を最も使っているのが電池であることも知っておく必要があるだろう。
 電気自動車が普及するには大きな壁がありそうだが、自動車とは違うがうまく取り入れているところもある。パリで人気の貸自転車「ヴェリブ」のように、何台かの電気自転車が止まったステーションがそこら中にあり、ユーザーはそこから電子カードで借りて目的地のステーションでどこでもいいから乗り捨てる。帰りはまた手近で借りるという具合だ。そして、その利用料だけ払うという仕組みだ。ステーションはいつも充電設備につながれ、残り電力は常にネットワーク監視され、スマートグリッド(賢い電力網)の中で発電ロスを無くすための分散電力バンクとしても機能する。
 こうした取り組みも行われており、いいヒントになるのではないだろうか。

インドの現状は

 環境問題は、環境を良くするという取り組みだけでは成り立たない。
 これまでインドはCO2排出量世界4位で、これまで削減目標の明示を拒んできた。しかし、経済の急成長を続ける近年のインドでは、環境問題が話題に上ることが多くなってきた。特に「河川の汚染」問題は深刻化し、政治問題にまで発展するようになっている。
 それは、ヒンドゥーの伝統的観念である「浄/不浄」の二分法と、近代的な「清潔/不潔」という観念のズレに起因する。例えば、ガンジス川の流れは我々の眼から見れば生活排水の垂れ流しによって「不潔」に見えるが、ヒンドゥーの観点からいえば「聖なる流れ」であり「浄」なる存在である。聖水で沐浴することによって身を清め、罪・穢れをはらうことが、ヒンドゥーにとっては日常生活と密着した儀礼となっている。逆に洗剤できれいに洗われた金属製のスプーンは、我々にとっては「清潔なもの」だが、それが低いカーストの人が使用したものであれば、「不浄なるもの」と見なされ、忌避されることがある。
 しかし、近年ではこのような反発も緩和され、宗教的伝統と環境への配慮の融合が目指され始めている。首都デリーには、ガンジス川と並ぶ聖なる大河、ヤムナー川が流れている。街中の小さな流れでも、廃棄されたビニール袋などが排水溝を詰まらせ、これが原因でマラリヤやデング熱が発生している。このような状況を鑑みて、デリーでは昨年のはじめ、ビニール袋(プラスティック・バッグ)の使用が原則禁止された。違反すると約20万円の罰金、もしくは5年以下の懲役が科せられることになっているという。

 インド各地では、人口の増加によって水質の低下が顕著になっている。河川の上流地域で灌漑や生活用水として川の水が大量に取水され、流量が減少し、自浄作用が低下している。さらに、そこへ大量の未処理の生活排水や工業排水が流れ込むことで、汚染がいっそう進んでいるのである。
 現在のデリーの下水処理システムは既に崩壊寸前の状態にあるという。1日当たりの下水処理能力が約23億2,500万リットルしかないこの街で、1日に34億7,000万リットルの汚水が発生しているのだ。しかも、下水処理場やデリーに11ヵ所ある共有の産業排水処理施設が非効率的であることから、実際の処理能力は1日15億7,000万リットルにすぎないという。
 このような状況を鑑みて、政府は15年ほど前から本格的な河川保全計画を実施している。主要河川の浄化を目指す国家河川保全計画(NRCP)が始まったのは1995年のことだ。85年に10の州を流れる特に汚染の激しい18の河川を対象に、総予算額77億2,000万ルピー(約150億円)の『ガンジス川浄化計画』が策定されたが、その拡大版がNRCPである。
 現在、NRCPの対象は20州167都市、38河川にまで拡がっており、直近では2009年8月にパンチュガンガ川が新たな浄化対象として加わった。だが、現在のNRCPは熱心に実行され、成功を収めている環境対策とはいえないという。つまり、数字の帳尻合わせしかない官僚による机上の空論に成り下がっているというのだ。30以上の案件に対する開示請求がなされ、NRCPの浄化計画は完全な失敗であることが明らかになった。中央公害管理委員会(CPCB)のような公的機関も、インド国内の河川が昔より汚くなっていることを認めているという。

 このような河川の浄化計画には、日本政府も援助によって間接的に関わっている。JICA(国際協力機構)では、各地の上下水道の整備事業や設備の維持管理に携わる人材育成を行い、着実に実績を挙げつつあるようだが、インド政府によるNRCPは様々な機能不全を起こしているようだ。

<参考資料>
・「「盛り上がる“温暖化懐疑論”に出資する黒幕は誰だ?」
ル・モンド(フランス/COURRiER Japon 2010.7)
・「時代の風 端末としての電気自動車 所有意識捨てる時代に」
坂村 健(東京大教授/毎日新聞 2010年4月17日(日))
・「地元誌が伝える「インドの現在」 08 インドの環境問題を困難に…「聖なるガンジス川は汚くない」」
中島 岳志(COURRiER Japon 2010.3)

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