アメリカはどうなってしまうのか(上)

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 超大国アメリカ。アメリカの時代が過ぎようとしているのか。
 アメリカが揺らいでいる。

 金融危機の大きな被害は全世界を苦しめたが、アメリカ自身、大きな打撃を受けた。
 アメリカがこれまで果たしてきた役割は、この先、同じようにはいかないであろう。

 そんなアメリカを追う。

「草食化するアメリカ人」
ラーナ・フォルーハー(ビジネス担当/Newsweek 2010.1.20)

 金融危機により世界中は混乱に陥っている。各国はそれぞれ対策を講じた。
 震源国アメリカでは「自動車販売や鉱工業生産が増加し株価も堅調に推移するなど、最近の経済統計には明るい兆しが多い」という。

 しかし、アメリカの未来は明るいとは言えないかもしれない。「金融危機という大きな衝撃があったせいばりではなく、世界経済の勢力図が塗り替えられてしまったために、アメリカ経済が回復を続けたとしても、アメリカの消費者はもはや世界の支配的勢力ではなくなってしまったからだ」。
 「今後勢力を伸ばして強くなるのはむしろ、中国やインド、ブラジルといった主要新興市場」だろう。「ドルは引き続き弱くなり、アメリカの労働者は国外の低賃金労働者とますます激しい競争にさらされる」。
 「『大きな政府』や規制強化がトレンドで、ひょっとすると保護主義の再来も懸念される中、投資マネーは引っ込んだまま」である。
 それに「大企業と平均的な労働者の経済格差が拡大している」という。「株価が上がる一方で、失業率は数十年ぶりの高水準のまま」である。「最も強気の経済学者たちでさえ、今後何年も高止まりすると考えている」。
 「そもそも、大企業の利益の源泉の1つは国内での人員削減や雇用の国外移転だ」。「一方、アメリカの新規雇用の最大の創出源である中小企業は、金融危機で真っ先にお金が借りられなくなり最も大きな打撃を受けた」。
 「現在は非常に珍しい時代だ」。「19世紀に近代経済が誕生して以来、金融資本主義と実体経済がこれほど断絶したことはない」という。

 ただし、「風力発電などいくつかの有意義なプロジェクトに、銀行がまったく投資しないわけではない」。「だが銀行は実業に投資するよりも、複雑な金融商品を開発して金融機関同士で投資し合うバーチャルな世界にのめり込んでいる」。
 「こうして資本活動と労働が切り離され、失業率が高止まりした結果、賃金だけでなく人間までが萎縮してしまっている」。「多くの調査によれば、失業者は地域や社会から引き籠もりがちだ」。「そしてその隣人は失業を恐れて働きまくり、やはり地域社会から引き籠もる」。
 「親の失業は、子供にも大きなダメージを与える」。「学校の勉強で後れを取るようになり、留年し、不安生涯を患う子供もいる」。「大恐慌のときは、教会や地域センターなど市民団体が今より活発だったから、不況が社会に与える打撃はある程度緩和されたのだが」。

 「多くの専門家が懸念するのは、アメリカと中国の貿易摩擦や通貨摩擦だ」。「保護主義的な政策を取れば、大恐慌のときのように不況を悪化させかねない」。

 「国際的な基準でみると、アメリカの階層間流動性は70年代以降低下しており、現在ではイギリスやスウェーデン、デンマークよりも低い」。「つまり金持ちの家に生まれた子供は金持ちに、貧しい家に生まれた子供は貧しい一生を送る可能性が高まっている」という。
 「アメリカ人は一般に格差に対する許容度が高い」。「だが大不況後の時代には、それも変わるかもしれない」。「もはや新卒の若者が親よりいい生活をすることは期待できず、中小企業も苦しんでいる」。

 そうした中、「明るい希望」がみられる。「アメリカの製造業は、昨年来のドル安と生産性の大幅な改善に救われるかもしれない」。「経営コンサルタント会社マッキンゼーの推計によれば、ドル安が10%進んだだけで、100万人の雇用創出につながる」という。
 「昨年来のドル安のおかげでアメリカの輸出は10~13年に年11%のペースで増える見込みだ」という。

 「アメリカは、過去70年間で最悪の景気後退を経験したばかり」。
 「50年代に育ったアメリカ人にも、はっきりした特徴がある」。「ベビーブーム世代の彼らは楽観的」で、「常に上昇志向で、限りない成功の可能性を体現してきた」。「収入を上回る消費をすることもしばしばだが、それは将来はもっと収入が増えると信じられたからこそだ」。
 「全米の平均失業率10%に対し、20~24歳の若者の失業率は15%を超える」。「統計によれば、失業率が1ポイント上がるごとに、大学新卒の初任給は6%下がる」。「給与のスタート台が低くなるので、その影響は今後数十年にわたって続く」だろう。

 さらに、「平均失業期間が長期化することで未熟練労働者が増えるのも極めて大きな問題だ」。「70年代以降のアメリカ人の賃金水準は比較的安定してきたが、大不況世代はこの30年間で初めて賃金が減る世代になるかもしれない」。
 このようなことから、「私たちの生き方は、若いときの衝撃的な体験(素晴らしい体験でもいい)に大きく左右され、生涯影響を受け続けるという」のだ。
 「全米経済研究所が1972年から2006年のデータを検証した昨年9月の報告書によれば、たとえそれがたった1年間でも若い時期に厳しい経験をすると、中核の価値観や態度が根本から変わってしまうことがあるという」。

 「他の多くの研究でも、景気後退期に育った人はリスクの少ない保守的な資産運用を好むだけでなく、実際に儲ける額も少ないことが分かっている」。「仕事も安定志向で、所得再配分と市場に対する政府の介入を支持する傾向がある」。
 「逆説的だが、それでいて彼らは公的機関に不信感を持ち、ひょっとすると人生そのものにも懐疑的で、成功は努力より運のたまものだというヨーロッパ的な信念を持つ傾向がある」。「失業経験が悲惨であればあるほど、彼らはより悲観的になり社会とも疎遠になる」。
 「政治的には、時代の雰囲気や時の指導者によって右か左化の一方に走りやすい」。「大恐慌はアメリカのニューディール政策も生んだが、ナチスの第三帝国も生み出した」。
 「統計的には、アメリカは09年夏に景気後退期を脱却している」。「だが多くの人々は、07年12月に始まった戦後最長の景気後退と08年9月以降の金融危機で、アメリカ人の心理と行動が永遠に変わってしまったようだと考えている」。

 「個人の貯蓄率は最低だった08年と比べて4倍の4.5%に上昇した」。「経営コンサルティング会社アリックスパートナーズの調査によると、アメリカ人は今やそれでも安心できず今後は収入の15%を貯蓄したいと考えているという」。
 「アリックスパートナーズの調査の回答者の半分は、株式投資を一切やめてしまった」。「あと3年は株を買わないと答えた人も過半数に達した」。「経済は金融危機前の水準を回復できないと思う人の比率は43%だった」。
 「全米経済研究所が72年以降の不況時に成人を迎えた18~25歳を調査したところ、多くが『人生の成功は努力よりも運で決まる』と考える傾向があり、政府への信頼も乏しいことが分かった」。
 「努力よりも運だという若者の考え方は、実体経済にも悪影響を与える」という。
 「努力よりも運だと考える人は仕事に精を出さない傾向がある」。「それは生産性を下げ、経済成長の足を引っ張る」からだ。
 「裏を返せばそれは、『なせば成る』と信じて全力疾走してきたアメリカ人が、1歩引いたところのあるヨーロッパ人よりも長い間高い成長を実現してきた理由なのかもしれない」。

 「全米産業審議会は最近、アメリカの雇用満足度が過去20年間で最低であることを示す統計を発表した」。
 「現在のトレンドが続けば、大不況世代はますます大恐慌世代に似てくるだろう」。「例えば才能ある大卒の若者は、民間企業の就職するより公務員になることを選ぶだろう」。「理由は昔も今もこれからも、そこには雇用があるからだ」。
 「多くのコンサルティング会社は、消費者は家族や友達と費やす時間にもっと価値を見いだすようになるとの調査結果を示している」。「厳しい時代を経験すると、人間は互いに優しくなるという指摘もある」。

 「カネのことを考えるだけで、人間は痛みに鈍感になり、助け合ったり見知らぬ人と結び付きを持とうと思わなくなる」。
 「80年代の世代がお互いを踏み台にして出世しようとしたのと違って、今の世代は立ち止まって他人に手を伸ばすようになるかもしれない」。

THE INTERVIES
「ヒラリー・クリントン ヘンリー・キッシンジャー」
ジョン・ミーチャム(米国版編集長/Newsweek 2009.12.30/2010.1.6)

 現在でもアメリカの存在は大きく、世界で大きな影響力を持っている。
 「世界は広大で、アメリカは実質的にそのすべての場所で責任を負って」おり、「現在、この国が直面している課題の本質は2国間ないし多国間的であるだけでなく、超国家的でもある」。

 そんな中、最近大きな混乱が襲っている。「08年には(穀物価格高騰で)各地で暴動が発生し」、「気候変動が起こり、人口移動のパターンも変化している」。「食糧問題の重要度は今後さらに高くなる」。「新型インフルエンザの脅威で、世界の医療問題と併せてパンデミック(世界的流行病)にどう対処するかも課題になっている」。
 「政府が抱える問題の1つとは、緊急課題と重要課題を見極め、緊急課題のせいで重要課題をおろそかにしないことだ」。「国務省スタッフはワシントンで最も優秀だが、最も頑固でもあるという」。
 「緊急課題と重要課題を見極めるとともに、今は緊急でも重要でもない問題が来年や再来年にはそうなることもあり得る以上、長期的傾向にも目を向けなければならない」。

 「ホワイトハウスと国務省が担当する問題の違い」とは、「ホワイトハウスが扱うのは大抵、戦略に関わる問題だ」。「その一方で国務長官は、アメリカの利害関係国という多くの『顧客』を相手にしなければならない」。

 「アメリカ政府は最近、北極圏に注目し始めている」。「海氷や氷河の融解が進みシーレーン(海上交通路)が変化している北極海は、5つの国と接している」。「(その1つである)ロシアは10年に北極遠征を行って北極点に国旗を立てると言うが、カナダは『そんなことはするな』と反対している」。「北極圏問題は大いに関心を持つべき分野だが、今のところ記者会見やホワイトハウスの議題になっていない」。
 「つまり各種の問題が絡み合っているということだ」。そして、「緊急課題と重要課題と長期的課題がある」。

 「国務長官と大統領の関係」は、「政策を立案し、重大な決断を下す際にアドバイスを提供し、政策決定に外交や発展という要素を反映させるには大統領との良好な関係は欠かせない」。
 「結局のところ、最終的な決定権を持つのは大統領」で、「難しい決断が行われる場所は大統領執務室にほかならない」。
 「国務省は外交を指揮するのは自分たちの権利だと主張しがちだが、特権を主張するのは省庁間の戦いに負けた証拠」であるという。
 「方向性を共有することが不可欠」であり、「大統領と近しい関係にない国務長官は長続きしない」。

 「理論は外交の枠組みや方向性、歴史の教訓を教えてくれる」。
 その上で注意点は、「過去のパターンが参考になる面はあっても、まったく同じ局面は2つとない」ということだ。「型にはまった考え方をせず、状況に俊敏に反応し、直感を研ぎ澄ませてチャンスを見逃さずに振る舞い、その上で実際の行動を説明する理論をつくり上げる」。
 「(実務家と違って)学者は、目の前の情勢に適合した理論を構築するためにたっぷり時間をかけられる」。「それに学者という立場であれば、(実現性を考えずに)一刀両断の解決策を唱えても構わない」。
 「一方、国務長官にとって、問題を一発で解決できるような解決策はまずあり得ない」。「問題を解決するためには、一つ一つ段階を踏むしかない」。

 「今日の世界では現地を訪問することが必要とされているという」。「直ちに連絡を取り合える今の時代、わざわざ飛行機に乗って現地で会談しなくてもいいじゃないかと思うかもしれない」。しかし、「現実には、むしろ直接対談することへの欲求が高まっているよう」という。
 「アメリカが本当のところ何をどう考えているか、説明してもらいたいからだ」。「ケーブル経由では、それは分からない」。
 「報道のせいで根拠のない不安や懸念が広まることが多い」。「おかげでアメリカ政府の真意は何なのかと、各国政府が気をもむ」。だから「現地は行って話をし、話を聞かなければならない」。
 それに、「各国はそれぞれの国益に基づいて決断を下すものだ」。「とはいえ相互関係が発展すれば、別の視点から国益を判断するよう促し、より大きな共通点を探ることが可能になる」。「会談相手がこちらを個人的に理解し、親しみを感じていれば、見解の一致点も見つけやすくなる」。
 「非常に重要なのは、ほかの国に何かを求める前にまず関係を築くことだ」。「そうすれば交渉に入ったときや危機が持ち上がったときに、ある程度の敬意を抱いて接することができる」。

 「オバマ大統領は(前政権からイラクとアフガニスタンの)2つの戦争を引き継ぎ、自分で生み出したわけではない問題について早期に判断を下すことを強いられた」。「(しかしその後)大統領はしっかり時間をかけ、問題を根本に立ち返って検討するプロセスを踏んだ」。
 「イラクの戦争は終息に向かっているが、それに伴って米軍が引き揚げれば、国務省と国際開発庁(USAID)の担う役割がますます大きくなる」。
 「アフガニスタンに関しては、どうやって前に進むべきか時間をかけて検討してきた」という。「軍と文民部門の双方で意見が一致したのは、軍事力だけでは成功を収められないということ」だ。

 「国防総省に比べると、国務省やUSAIDは予算の獲得が格段に難しい」。「目下の厳しい財政状況では、必要な予算を獲得することがとりわけ難しい」。「それでも、担わなければならない責任があることに変わりはない」。
 「アメリカの若い兵士たちが身を危険にさらしているとき、文民たちも同様に危険な場に出掛けなければならないケースが増えている」。
 「今最も重要なのは、戦争の戦術に関しては意見の相違があってもいいが、戦争の正当性そのものについて意見の対立がないようにすることだ」。
 「(戦争を戦うことによって)最も大きなリスクを負っているには、そのときの政権にほかならない」。
 「ベトナム戦争やイラク戦争などの戦時の議論をみると、戦争を終わらせることと軍隊を引き揚げることが同一視されてきた」。「軍を撤収させることが第1の、もしかすると唯一の出口戦略であるかのように言われてきた」。
 しかし、「本来、最良の出口戦略は戦争に勝つこと」である。「あるいは外交で相手を説得すること」。「あるいは戦いが自然に終息することのはず」。「それなのに、米軍部隊の撤収を出口戦略と同一視すれば、(なぜ戦争を始めたのかという)政治的な目的をないがしろにする結果を招く」。
 「そうなると、時の政権が戦争集結のために十分な努力を払っていないという中傷を受け、最良の判断とは異なる行動を取らざるを得なくなる」。「そういう事態に陥ることがしばしばあった」。

 「(戦争を終わらせる上で)いずれかの時点で外交上の落としどころを見つけなくてはならないということだ」。「当事者が受け入れて実行できる合意点を見いだす必要がある」。
 「アフガニスタンがどういう結果に落ち着こうと、(合意を)実行しなければならない」。「そのためには国際的な法的枠組みが不可欠だが、そのような枠組みはまだない」のが現状だ。。
 「外交上の話し合いの場を設ける以上、アメとムチを組み合わせることが不可欠だということだ」。「相手が常に損得を計算して振る舞うことも頭に入れておかなくてはならない」。
 「重要なのは、アメとムチをうまく提示すること」で、「さあこれから私たちが譲歩しますよ、などと宣言するような稚拙な交渉しかできない人物を話し合いの場に送り込んではならない」。「こちらが際限なく譲歩するという印象を与えれば、ほぼ確実に相手は言うことを聞かない」からだ。「今北朝鮮との関係がそうなっている」。「10年前からずっとそうなのだが」。

新世界大戦の時代
「キッシンジャーの「表と裏の顔」を学ぶ 国際政治の「現実主義」と「理想主義」」
落合信彦(SAPIO 2010.2.10・17)

 中国とソ連の関係についていうと、「1949年に建国した中国はスターリンが亡くなる53年までソ連と友好関係を築いていた」。「その関係に軋みが生じたのが56年」で、「スターリンの後を継いだフルシチョフがスターリン批判を行ない、毛沢東はソ連を『修正主義化している』と批判した」ことから始まった。
 「その後もフルシチョフは毛沢東と何度か会談」。「フルシチョフは訪中すると、これでもかというほどの歓迎を受け」、「毛沢東はフルシチョフを私邸のプールサイドに招いた」という。
 「中ソの対立が決定的になったのが64年の中国による核実験だった」。「実験場は新疆ウイグル自治区のロプノール湖」で、「67年には水爆実験も成功させた」。「ソ連は中国の核開発が脅威となった」わけだ。
 「そして69年3月にウスリー川中洲のダマンスキー島でソ連の警備兵と人民解放軍兵士の間で衝突が起こった」。「さらに7月には中ソ両軍がアムール川(黒龍江)のゴルジンスキー島で武力衝突し」、「両国の軍事的緊張は一気に高まり、それぞれ核兵器使用の準備も進められた」。
 「中ソの核戦争勃発の可能性は十分にあった」という。

 「ソ連はアメリカの出方、つまり中国の見方につくかそれとも黙殺するかを探りながら、アメリカは中国を助けないだろうという見立てに傾いていた」。
 「69年に誕生したニクソン政権で大統領補佐官を務めていたキッシンジャーは、KGBの情報工作を知って箝口令を敷いた」。「仮に、誘導されて『共産主義国家の中国を助けるべきではない』という意見が出てそれが世論の大勢になってしまえば、アメリカ政府は身動きが取りにくくなる」ため、「彼は何としてもそれを避けたかった」。
 「結局、ソ連のコスイギン首相と中国の周恩来首相が会談して政治解決が図られ、中ソの軍事的緊張は緩和された」。「しかしこれを機に、中国はアメリカを味方につけるべく水面下でコンタクトを取り始めた」。「一方のアメリカもベトナム戦争を終結に向かわせるために中国との接近を図った」。つまり、「キッシンジャーの策謀である」。

 「彼は71年、秘密裏に2度訪中し、周恩来と会談し」、「彼らは双方に利益が生まれる最善の合意が得られるよう交渉を進めた」。
 「72年2月にニクソンは訪中し、米中は共同声明(上海コミュニケ)を発表」。「アメリカは中国に対し、『一つの中国』『台湾は中国の一部』と認めた」。「その見返りに中国は新疆ウイグル自治区にソ連の領土をカバーできるレーダー設置をアメリカに認めた」。
 「72年のニクソン訪中でアメリカは中国と和解したものの、国交正常化は果たしていなかった(カーター政権の79年に正常化)」。「キッシンジャーは中国と完全に手を結んでしまうのはまだ早いと踏んでいた」という。

 ヘンリー・キッシンジャーは、「ニクソン政権で活躍した切れ者の大統領補佐官(フォード政権では国務長官)は、その現実主義的な外交舵取りで世界情勢を大きく転換させた」。「そしてアメリカに多大な国益をもたらした」人物である。

 「72年5月の沖縄返還は69年11月の日米合意ですでに決まっていた」。「表向きは、米軍基地に配備されていた核兵器を撤去した上での『核抜き』の返還である」。「しかし、返還交渉の際に、『有事の際は非核三原則に反し、沖縄に核兵器の持ち込みを認める』という密約を、佐藤首相とニクソン大統領の首脳間で結んでいた」。「これが沖縄核密約である」。
 「日本側にとって、『核抜き』返還は非核三原則を沖縄にも適用するという大義名分と、沖縄に対する本土の贖罪意識を満たすものだった」。「アメリカが核兵器の撤去作業を公開してアピールしたのも、日本国内の世論に配慮したものと受け止められた」。「しかし、アメリカにとってはそんなことどうでもよかったのである」。
 「この時、キッシンジャーは中国との和解達成に心を砕いて」おり、「沖縄の『核抜き』返還も中国向けのアピールでしかなかった」のだ。「あくまで世界情勢の行方を見据えながら国益の最大化を図るアメリカと、核の傘に守られて国内にしか視野が及ばない日本の外交感覚の差は大きかった」。

 「キッシンジャーは徹底した現実主義で国益を追求する点ではお手本のような外交家だった」。「しかし、その手法が功罪併せ持つ」。
 「キッシンジャーの現実主義は道徳・人権問題への無関心と背中合わせだった」。「ソ連と友好関係にあったチリのサルバドール・アジェンデ政権は、CIAがクーデターを支援し崩壊させ」、「次に誕生した親米軍事政権のアウグスト・ピノチェト政権は激しい国内弾圧を行なったが、キッシンジャーはこれを黙認した」。「また、ベトナム戦争終結後の75年11月には、当時のタイのチャチャイ外相に対して、東南アジアの脅威であるベトナムから守る盾としてカンボジアを味方につけるよう説いたという公文書が公開されている」。さらに、「75年5月に誕生したカンボジアのポル・ポト政権はすでに国民の大量虐殺で国際的に非難を浴びていた」。「そうした国益に適うなら見逃されることになる」。「中国国内の人権問題も然りである」。
 その「キッシンジャーは07年に元国務長官のシュルツらとともに核廃絶を提唱し、オバマ大統領の思想的支柱になっている」。「現実主義の彼が、引退して思想主義者となった」。「現役時代は核抑止論の急先鋒だった彼が核廃絶を唱えるとは笑止千万な話だ」。
 「キッシンジャーはベトナム戦争終結のパリ協定調印に貢献したとして73年にノーベル平和賞を受けた」。「平和主義者ではなく現実主義者の受賞である」。「その翌年、佐藤栄作が平和賞を受賞した」。「核兵器保有反対が評価されたという」。「そして昨年、キッシンジャーに触発された核廃絶論者のオバマが平和賞を受賞した」。

「不況でも人々はアメリカを目指す」
(Newsweek 2009.4.22)

 「00年以降、アメリカは毎年100万人を超える合法的移民を受け入れてきた」。さらに、「毎年50万人の不法移民が流入している」という。
 「ワシントンにあるシンクタンクの移民政策研究所の調査によると、9・11後の審査の厳格化や取り締まり強化にもかかわらず、アメリカにやって来る移民の数は一定の水準で推移している」という。
 やはり、アメリカへ向かう人々は後を絶たない。アメリカへの希望があるのだろう。

 移民の「増加のペースが落ちたのは、9・11後の01年と07年だけ」だという。
 「不法移民の割合は中南米出身者のほうが高いが、景気悪化後も移民の大量帰国は起きていない」という。ちなみに、「ピュー・ヒスパニック・センターによると、中南米出身の不法移民は00年の840万人から08年には1190万人まで増えた」。

 アメリカへ移民する人々の出身地は、「ヨーロッパ出身者は00年以降微減しており、中南米出身者も07年以降はさほど増えていない」という。だが「アジア出身者は、毎年25%くらいのペースで増えている」という。
 ただし、「永住目的の合法的移民については何も変わっていない」という。

参考記事

・「アメリカは男社会」/アメリカ便り
・「アメリカ医療の行く末」/アメリカ開業医の独り言

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