イラン問題の行方(上)

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 イラン問題が依然として続いている。
 欧米とイランの関係は良くない。

 イラク、アフガニスタンの問題と同じくらい、大きな問題として、現代の国際情勢の注目すべき問題である。

 そのイランを取り上げる。

新世界大戦の時代
「「騒乱のイラン」もまたアメリカのエゴにより演出された」
落合信彦(SAPIO 2009.7.22)

 第2次大戦中、パーレビ朝国王を22歳のレザー・パーレビが継いだ。当時、イラン議会は極端なナショナリズムが巻き起こっていた。特に「石油をめぐって議会は国有化に傾いて」おり、「その先頭に立っていたのが、後に首相となるムハンマド・モサデク」であった。
 「かつてイランの石油はセブン・シスターズ(世界石油メジャー7社)の一角であったイギリスのアングロ・イラニアン社(後のBP)が独占していた」。「1951年4月、モサデクは議会石油委員会委員長の権限で石油の国有化を一方的に宣言して国民の圧倒的な支持を得る」。「その2年後、パーレビはモサデクを首相とするとともに石油国有化法に署名する」。
 しかし、アングロ・イラニアン社は、「他のメジャーと組んでイランの石油を国際市場からシャット・アウト」。その反撃に対して、「モサデクは必死に買い手を探すが、誰もメジャーを敵に回すような危険は冒したく」なく、「イランの国庫はからっぽになりつつあった」。
 そして、「当時のアメリカ大統領アイゼンハワーに、『もしアメリカが救いの手を差しのべてくれないならイランはソ連の援助を受けざるを得ない』」(しかもソ連との相互防衛条約も念頭に入れているということも)という書簡を送った。これに対し、「アイゼンハワーはモサデクを危険人物と判断し、CIAにイランの“掃除”を命」ずることになった。
 「CIAに後押しされたパーレビは国王権限でモサデクを罷面」し、「これを契機にモサデクを支持する反国王派のデモがエスカレートし」、「ソ連に焚き付けられた共産主義政党ツデー党が絡んでテヘランの民衆は暴徒化する」。「国王はCIAの指示でひとまずローマに亡命」。「CIAは軍部と警察を握ってカウンターデモを起こし、一夜にして情勢をひっくり返してしまう」。「モサデクは逮捕され国家反逆罪で3年の刑を受ける」。しかし、「パーレビは復権し、それまでとは人が変わったように現実的かつ強権的になる」。

 パーレビは復権により、極端な独裁政治を始め、79年の1月に失脚するまでの約27年間、イランの独裁者として支配を続けた。そして「その独裁の裏には常にアメリカがいた」という。「アメリカにとってイランは中東における忠実なドーベルマン」であったからだ。「これがイラン人が抱く“アメリカの呪縛”である」。しかし、その反面、パーレビは「イランを中東で最も近代化させた」。

 パーレビの独裁はホメイニを生み出した。
 「ホメイニは何度も国王批判の演説を打っては逮捕され、ついに64年に国外追放となった」。「彼はその後15年間、トルコ、イラクを経てフランスで亡命生活を送りながら、国外から国王への抵抗を呼びかけ続けた」。
 「79年1月、パーレビ国王はホメイニの演説に呼応する国民を抑えきれないと判断し、エジプト経由でアメリカに亡命」。そして、「入れ替わるように2月にホメイニが帰国し、国王派を一掃」。「同年4月1日、イラン・イスラム革命が成立、ホメイニは最高指導者に就任した」。
 そのホメイニを生み出した背景には、アメリカが絡んでいるという。
 「79年1月初旬NATO軍最高司令官アレキサンダー・ヘイグの元にカーターから指令が届いた」という。「『イランに特使を送り、どんな状況下でも動かぬよう軍部を説得させろ』」という命令だったという。「イラン軍部の動きを封じこめることは、パーレビを見殺しにするに等しい」。「ヘイグは戦略面と倫理面の両方から命令を拒否した」という。
 「結局、カーターは自分が選んだ特使をイランに派遣し、イラン軍部を説得」。「2月にホメイニがイランに帰国し、それを歓迎する100万人もの一大デモが行われた際も、ついに軍部は動かなかった」。
 「カーターはイラン軍部による国民虐殺を恐れていた」。「自慢の人権外交の名に傷がつく」ため、「これ以上独裁王朝にテコ入れしていると、西側諸国の支持を得られなくなるとも考えていた」という。また、「ホメイニに政権が移っても、イランとの関係は変わらないという判断もあったのだろう」。
 しかし、「イスラム革命後、反米の機運は高まり」、「鎮まることはなかった」。

 79年11月、イランのアメリカ大使館人質事件が発生した。「パーレビの亡命を受け入れたアメリカに怒った学生らが大使館を占拠し、人質を取って立てこもった」。「背後では革命防衛隊(イスラム革命後に発足)が彼らを支援していた」。
 「この人質事件に関しては、イスラエル政府がコマンド部隊による作戦を申し出」たが、カーターはこのオファーを断り、「人気回復を狙ったのか」、自ら解決しようとした。
 しかし、「結局、アメリカの救出作戦は輸送機とヘリコプターの接触事故などもあり」、「失敗に終わった」。

 こうしてアメリカのイラン喪失を招いたのだが、その背景には情報機関の弱体もあった。
 「イスラム革命前、CIAはイランに関する情報源をパーレビ側近に頼っていた」という。「パーレビ体制が危機に陥るとすればツデー党によってもたらされると読んでいた」という。
 「イスラエルの情報機関モサドは、パーレビ体制にとって最も危険なのはイスラム教右派の僧侶たちであると分析し、CIAにもレポートを送っていた」。しかし、CIAはそのレポートを無視した。

 ワシントンポスト紙の別冊『パレード』誌の『世界最悪の独裁者』ランキングによると、「ハメネイは7位にランクイン」している。「イランには選挙制度はあるが歴とした独裁国家である」。「万が一、イランが民主化に向けて動き出すと、他の独裁者たちは自国にも民主化のうねりが波及するのではないかと気が気ではない」。
 そのため、「アフマディネジャド当選とハメネイが断定した時、中東のリーダーたちはこぞって祝福の電報を送った」。「今回の騒動で、改革派のデモへの参加者たちの70%以上は30歳前の若者だった」という。「ホメイニの廟で自爆テロが行われ、『ハメネイに死を!』のスローガンが繰り返されている」。「彼らは、明らかに神権政治の終焉を願っている」。「ハメネイをはじめとする僧侶たちも彼らの天下を維持しようと必死だ」。
 ちなみに、「エジプトのムバラク大統領もトップ20に入っている」。

「ピープルパワーが突き崩す「聖域」」
ファリード・ザカリア(国際版編集長/Newsweek 2009.7.1)

 イラン問題が国際情勢の大きなものになっている。そのイランでは何が起こっているのか。
 「イランのイスラム教シーア派最高指導者、ルホラ・ホメイニ師は1970年、宗教指導者であるイスラム法学者が国を統治する聖なる権限を有するという理論を提唱」。「79年にホメイニがイラン革命を主導してイラン・イスラム共和国を打ち立てたとき、その中核になったのは、この『ベラーヤテ・ファギーフ(法学者による支配)』と呼ばれる考え方だった」。「しかし6月12日の大統領選以降、このイデオロギーは致命的な打撃を受けた」。
 「現最高指導者のアリ・ハメネイ師は大統領選の開票結果への不満が高まると、マフムード・アハマディネジャド大統領の勝利を『聖なる審判』と位置付け、選挙結果を正当化しようとした」。「ベラーヤテ・ファギーフの典型的な手法だが、多くの国民は納得しなかった」。
 現在の体制への不満がそれだけ大きなものになった。

 「大統領選の結果を受けていま再び『街頭』と『国家』が対立しているが、過去と違うのは宗教指導者の間に亀裂があることだ」。
 「ハタミや改革派宗教指導者のフセイン・アリ・モンタゼリ師は、アハマディネジャドの対立候補だったミルホセイン・ムサビ元首相を公然と支持」。
 内部でも問題が出るほど、イランは揺れている。

 「今やムサビは変革のシンボルになっている」。
 「選挙戦でムサビが繰り返し口にしたのは、アハマディネジャドがイランを国際的に孤立させたことへの批判だった」。
 「最高指導者であるハメネイが『聖なる審判』と言っているのに、有力宗教指導者が異を唱える事態は、イラン・イスラム共和国の建国の理念の『死』を意味しかねない」。

 「この10年間で、イスラム共和国の土台は徐々に弱まってきた」。「始まりは、97年の大統領選で改革派のハタミが圧勝したことだった」。「ハタミが着手した改革は保守派がつぶしたが、宗教指導者たちはこれに懲りた」。「それまではそこそこ自由な選挙を許していたが、04年の総選挙では現職を含む3000人の立候補資格を停止した」。
 「今回の大統領選では、早々とアハマディネジャド圧勝という結果を発表して、異論を封じ込めようとした」。「『1100万票もの差がある。不正により操作できる票差とは思えない』と、ハメネイは19日の金曜礼拝の演説で述べた」。

 「注目すべきは、バラク・オバマ大統領が再三にわたりイランとの歩み寄りの姿勢を打ち出してきたことだ」。「これによりイランの体制側は、アメリカを悪者に仕立てて国内の支持固めをすることが極めて難しくなった」。
 「前任者のジョージ・W・ブッシュがイランを『悪の枢軸』と名指しし、軍事攻撃を検討していると言い続けていたのとは対照的に、オバマはイランの人々に好意を示し、大統領選でどちらの候補が当選しても話し合いを行うと述べてきた」。
 これにより、現政権の体制のコントロールは難しくなった。
 「イランの現体制はアメリカの支援を受けてはいない」。「それに、アメリカやイギリスの介入を受け続けてきた歴史的経緯もあって、イラン国民は強いナショナリズムを抱いている」。「79年の革命に道を開いたのは、国王がアメリカの操り人形だという批判の高まりだった」。「イランの国民は、今回の件でもアメリカに口を挟まれたくないと思っている」。
 現政権が揺らいでいても、他国からの干渉は許さない。

 「現実にはイランの現体制が生き延びる可能性が大きいが、それは国民に受け入れられているからではない」。「抗議活動の全面禁止やデモ参加者の逮捕、批判的な有力者の処罰など、社会の自由を踏みにじることによって、体制は存続を図るしかない」。
 監視体制強化でしばりつけるということか。

 「イラン国民がデモを行うのは今回が初めてではない」。「しかしこれまで『街頭』と『国家』が対立したとき、宗教指導者は常に一枚岩で『国家』を支持した」。「99年と03年に学生の暴動が起きたとき、改革派のモハマド・ハタミ前大統領は『街頭』の側に立つことも考えたが、結局は体制の一員として行動した」。
 「79年にイラン革命が起きたとき、すべてのイスラム諸国が激しい衝撃を受けた」。「イスラム原理主義が無視できない力を持ち始めたことを思い知らされたからだ」。

「イランを読む 人口の6割 革命後世代 今後も保守派の批判勢力に」
松尾博文(日本経済新聞 2009年6月30日(火))

 2009年の「今回のイラン大統領選後の混乱で注目を浴びたのが、イスラム革命体制を維持しながらも、より自由な社会を目指す改革派の原動力となった1979年のイスラム革命後に生まれた若者層だ」。
 「国勢調査(2007年)によると、約7050万人の人口のうち、革命後世代にほぼ相当する29歳以下の人口は約60.49%」で、「選挙権を持つ20代の人口だけでも1600万人に達する」。
 若者層の声が大きくなっており、割合も増加した結果が出た。

 「彼らは王制を打倒したイスラム革命の熱狂を知らず、インターネットや衛星放送を通じて海外の情報も自由に入手してきた」。
 「比較的豊かな都市部で生まれ育った若者層は、女性の服装の規制緩和や表現の自由など、社会的自由を求める傾向が強い」。「日常生活でのイスラム教の規範を重視し外国の脅威を訴える保守派のアハマディネジャド大統領の締め付けに反発し、欧米との緊張緩和を掲げるムサビ元首相を積極的に支持」。2009年6月「28日もあった抗議行動でも中心的存在だった」。

「イランの選択 下 資源開発の期待しぼむ 再選のツケ、経済に重く」
(日本経済新聞 2009年6月16日(火))

 「アハマディネジャド大統領は就任以来、公務員給与や年金支給額の引き上げなど大衆迎合的な政策を次々打ってきた」。
 その背景には、「潤沢な原油収入」があるからだ。「ところが、昨年からの価格下落によってほかに原資を求めざるを得なくなった」。「低金利や通貨供給の拡大を続ける経済政策は30%近いインフレを招き、市民生活を圧迫している」。
 つまり、調子の良かったころはよかったが、不調になったら成り立たなくなったわけだ。

 「イランは日量400万バレルを生産する石油輸出国機構(OECD)第2の産油国」である。「ところが、ガソリンは国内消費量の4分の1超に相当する日量12万バレルを輸入している」。「経済制裁下で製油所建設が進まないためだが、スタンドでの販売価格は1リットル10円」だという。「輸入に必要な国際価格との差額は政府が補助金で埋めてきた」。
 産油国でありながら輸入しないといけない厳しい状況がイランの現状である。。
 政府は2009年春、「ガソリンや電気などの補助金を減らし、価格を2~4倍に引き上げる法案を提出した」。「政府財政の軽減が目的ではな」く、「そこでひねり出した資金を低所得層に現金で支給するためだった」。「その額は200億ドルといわれる」。
 これは、弱者に優しいのか。短期的なものか、長期的なものか。

 「米農務省によると、イランが2009年6月までの1年間に輸入する小麦は850万トン」。「エジプトを抜いて世界最大の輸入国となる見通しだ」。「うち1割超の100万トン程度が米国産だ」。「小麦輸入にかかる費用は全体で20億~25億ドルとみられている」。

参考記事

・「イラン情勢について③」/真実は何?
・「イラン情勢について① イラン革命を起こしたアメリカ」/真実は何?
・「揺れるイラン」/山麓

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