マスメディアの現状は

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 マスメディアの問題が深刻になっている現在、そのマスメディアの現状はどんな状態だろう。
 以下のことは、全てとはいえないであろうが、しかし、問題の部分である。

 マスメディアをどうすれば変えることが出来るか、大きなテーマである。

「「映像最優先」と「善悪二元論」が視聴者をミスリードする本質的構造だ」
草野厚(慶応義塾大学教授/SAPIO 2009.5.13)

 「テレビの特性のひとつは、映像を中心に写真、イラスト、文字、音声、効果音、音楽などを総動員した複合メディアであるということ」である。そのため、「事実と論理の積み重ねで視聴者を説得することより、インパクトのある映像を用いた演出によって視聴者の喜怒哀楽を刺激することを優先する傾向が強い」。
 テレビでのニュース報道のコツはというと、「コメントのコツは短く、テンポはよく、わかりやすくの3つ」、「ニュース解説のキーワードは1つか2つで」というものだそうだ。

 制作の現場からいうと、「インパクトのある映像がなければテレビは成り立たない」というのが現実であるようだ。
 その結果、「どこまで意図的かはともかく、過剰で、ときには間違った印象操作が行われてしまう」という。
 これは、とても深刻なことで、真実がわからなくなってしまう。
 偏った内容になりやすい要因として、「始めに仮説、結論があり、それに向けて必要な情報を集め、不必要な情報は捨象する」。これは「活字ジャーナリズムでも用いられる手法だが、映像を最優先するテレビジャーナリズムがそれを行うと、受け手に誤った印象を与えてしまう危険性は高い」という。
 「映像最優先というテレビの特性は、印象操作につながりやすい」という問題点があるのだが、「取り上げるテーマにも偏り」をもたらすという問題もある。
 例をあげると、「年金、後期高齢者医療制度、消費税などは社会保障や税制の根幹をなす問題だが、その重要性の割にはテレビジャーナリズムはあまり取り上げない」傾向にある。なぜなら、「そうした問題は『絵にしにくく地味』であるから」だ。
 もちろん、地味な問題も取り上げることはあるだろう。しかし、そうした場合、「困惑し、怒る高齢者や主婦などの表情を前面に押し出すことが多い」。本来は「制度ができたときの原点に立ち返り、本質的な政策論議を行うべきなのに、喜怒哀楽に流れてしまう」のだ。
 その背景には、「映像最優先と並ぶテレビの大きな特性は、放送時間の制約があるということ」があげられる。
 映像でシンプルにわかりやすい反面、偏りが生じたり、広く浅いという難点もある。
 ただし、そこには大きな問題がある。
 「時間の制約があるからといって、内外の複雑な問題を短く解説しようとすれば、わかりやすさを通り越し、単純な善悪=元論に陥りやすい」。「単純化は活字ジャーナリズムでも起こるが、テレビジャーナリズムにおいてはしばしばそれが行き過ぎる」傾向にある。

 メディア側が一方的に悪いわけでもないだろう。
 「制作者自身はテレビのこうした特性、限界を十分認識しているのだが、問題は視聴者の側のメディアリテラシーが十分でない場合」もあるだろう。それは「取り上げられている問題の本質を理解しないまま、単純な善悪二元論をそのまま受け入れてしまう」ということだ。
 テレビには大きな問題がある。それは「検証が難しい」ということだ。
 「新聞や雑誌などの活字媒体なら、もともと縮刷版やバックナンバーで再読が比較的容易であり、今はインターネットで簡単に検索できる」。しかし、これに対してテレビの場合では「著作権の問題などから視聴者はテレビ局から番組のビデオを入手することが難しく、たまたま私的に録画していない限り、番組を再見することはほとんど不可能」であるということだ。
 こうしたことがまかり通るのは、「報道される側に比べて報道する側、制作する側が圧倒的優位に立っている」状況がある。それは「どうしても『どうせ放送してしまえば終わりだ』という安易な姿勢が生まれがち」になる。
 そうなってくると、第5の監視機関が必要になってくるのだろうか。つまり、メディアを監視する機関。こうなると、きりがない。
 「その背景には検証の難しさゆえの安易な制作姿勢がある」だろう。
 こうした安易な状況にさせない仕組みを考える必要がある。

 この問題の解決策はというとアメリカにいい例がある。「アメリカにはテレビ番組のアーカイブスが多数存在」するという。「テネシー州のヴァンダービルト大学は3大ネットワークやCNNのニュース番組のビデオを保存」しており、「視聴者はコピー代や送料などを払えば容易に番組のビデオを入手できる」という。
 こういった機関は日本にはない。つまり、「番組で人権を侵害されたり、批判されたりした側、番組に重大な公益侵害があったと考える第三者が正式に反論しようにも、前提となる検証自体が困難」であるということだ。
 しかし、日本にもアメリカの先の例にあげたような取り組みが出始めている。
 NHKは去年の12月から「NHKオンデマンド」というサービスを開始した。「『NHKスペシャル』『クローズアップ現代』『NHK特集』といった報道番組、ドキュメンタリー番組を含む多くの番組を過去に遡って廉価で提供するというサービス」である。
 さらに、インターネットがその役割を担うかも入れない。
 「ユーチューブ、ニコニコ動画といったインターネットの動画サイトの普及」によるものだ。

「もはや政官の「介入」に抵抗すらしなくなったテレビ・ジャーナリズムの「自殺行為」」
本誌編集部(SAPIO 2009.5.13)

 「80年代の後半から、冷戦終結と相まって衛星ネットワークが発達し、テレビメディアは非常にグローバルになり始めた。ベルリンの壁崩壊や天安門事件、湾岸戦争などで劇的に報道の仕方が変わり、影響力が強くなってきた」という。

 「監督官庁である総務省がテレビ局に介入する問題を考えるとき、まず無視できないのが政治家の動向」だという。「政治家の介入は過去、数多くある」という。
 圧力の流れは「02年頃から次々と出てきた」。いわゆる「メディア規制法」で、「これらは政官のメディア・コントロールが強まると、当時から批判されていたもの」である。そして「総務省はその後、頻繁にテレビ局に関与するようになっていった」。

 「官僚は政治的に先行したがらない」。これはつまり、「官僚は政治家を見て動いており、自民党内の派閥の趨勢を見極め、政治家の心中を忖度しながら仕事としてテレビ局を見張っている」ということだ。
 「総務省(郵政省)が以前は特段言わなかったり口頭で注意する程度」であったというが、00年前後に「その都度呼び出して記録に残し始めた」という。
 こうして「政府によるテレビ局支配の地ならしが進んでいる」。

 「大前提として、政府も言論表現の自由を擁護する立場にあり、実害がないものについて、総務省が理由もなくテレビ局を呼びつければ“言論弾圧”という批判にさらされることは間違いない」。そうして、もし、「事故が起きたり、事実関係が間違っていたり、報道被害が出た場合に総務省が動く」というわけだ。
 このシステムを見ていると成り立っているように思われる。それに、テレビ局側ももっと自信を律しなくてはいけない部分はある。「たびたび失態があるが、コントロールする側からすれば、その失態を細かに突いていけばよい」からである。つまり、「総務省が介入する口実をテレビ局側」自身も作りだしていることも問題である。
 しかし、それも難しいことではあるだろう。だが、このシステムとサイクルは「失態を繰り返すたびに総務省に呼び出しを受け、事情聴取が行われ、少しずつ見えない形で規制が強まっていく」という悪循環でもある。
 深刻な問題なのが、これに「テレビ局側が慣れてきてしまったこと」があげられる。

 日本と欧米の報道・テレビの在り方は違う。
 「欧米の放送関連法では、『言論表現の自由』というのはマスコミの自由ではなく、国民、市民のコミュニケーションを保障する権利として定めている」。
 一方の日本ではどうだろうか。「日本の放送法というのは放送事業者の権利義務を定めており、どこを読んでも『市民』や『視聴者』という言葉がない」。
 これはどういうことだろうか。放送というものをもっと突き詰めて考える必要があるだろう。
 「アメリカでは地域の市民が編集権を持っているテレビ局が数千百局ある」という。「欧米ではこのように電波を市民が使えるようにする“パブリックアクセス”が実現」している。
 一方の「日本では放送の即得権を持っているテレビ局、それを与える役人とコントロールする政治家、この鉄の三角関係でお互いの利益を守っている」。これは、「政治家や官僚によるコントロールがしやすく、密室で処理しやすく」なっており、「日本だけがいまだ開放されずに一部の即得権者に握られている」という。
 そういう風になりやすい構造になっている。

 解決策にはやはり手堅くいくしかない。
 「問題が発覚したり、瑕疵がある疑いが出てきたケースでは、無条件に社長が辞職したりせず、まず社内調査を徹底的にして検証し、根本的な問題解決の対策を立てて自浄することが大事」であるだろう。
 それが「権力による過剰な介入を防ぐ道でもある」。
 ただし、本来はそうであるだろうが、根本的な解決策にはならないだろう。追及する側も雁字搦めにする意味を考える必要があるからだ。

「政府・与党に媚び、民法に追随するNHKに「年間2万7480円」の価値があるか」
坂本衛(ジャーナリスト/SAPIO 2009.5.13)

 景気の悪化もあり、メディアの厳しい状況が続いている昨今の状況の中で、「経営の指標だけを見れば、現在のNHKは絶好調」だといえる。
 「民放の売上高が大幅に落ち込む中で、NHKだけが経済危機の影響を受けていない」からだ。「4月からの09年度受信料収入は史上最高を見込んで」おり、「08年度前半のゴールデン視聴率も全局中トップ」である。
 しかし、ここに大きな落とし穴があることに注意したい。まさに絶好調なNHK、この状況だから保守的になり、現状維持(悪い部分も)をしていくようになってしまうことだ。

 「NHK、BBCその他の調査による」と、「各国でテレビへの信頼度を調査すると、欧米諸国では『信頼できる』という回答が3割以下」だっという。「NHKだけは5割前後と、途上国や独裁国なみに高い」結果になったという。

 ただし、NHKには大きな問題がある。
 「NHKと政治の距離の取り方が曖昧で、政府与党に対する批判的な報道がほとんど見られない」ということだ。
 「NHKの政治報道は政治家の発言や政治的な事情をそのまま伝えるものの、政治の腐敗を批判する、権力の横暴を暴くといったモチーフがとても希薄」である。

 その背景にはNHKの懐事情等が関係してくるのかもしれない。
 「NHKが政治、特に政府与党に弱いのは、首相が任命する経営委員会がNHK会長を任命する仕組みである」ことがあげられる。
 さらに、「国会でNHK予算を承認してもらう必要がある」ことも関係してくる。
 つまり、NHKの首根っこを押さえられているわけである。
 悪い部分というと、「元会長が災害報道に熱心と見れば、命令もないのに全局が忖度して一方向を向く悪癖がある」ことである。

 「伝統あるNHKニュースが、民放の夕方情報ニュースのスタイルに近づいている」。つまり、「ニュースのエンターテインメント化」が目立ってきたという。
 うまく取り込むのはいいが、悪い部分も取り込むことは注意すべきである。

 「受信料は、地上を含む衛星契約が1年前払い(約7%割引)でも2万5520円」と高い。「2ヵ月ごとに払う場合は年間2万7480円」で、「10年で25万5200円」ということだ。

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